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3月, 2018の投稿を表示しています

香港アートバーゼル

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入り口正面で風にゆーらゆーら上下しています。 巨大な「くらげ」を思うような動きです。 オブジェもあります。 カラフルな絵画やモノトーンのもあります。 もうアートがあり過ぎて、頭フラフラです 😵 なんとなくよく見かけるような。。。 どこで見たのかも思い出せないけど。。。 家族の肖像画が。。。 普通こんなになるとイタズラか落書きされたんじゃないかと疑ってしまいますが、これも立派なアートのようです。 ご招待を受けて初めて行った「Hong Kong Art Basel」 コンベンションセンターの1階と3階にズラ~とアートが並んでいます。 学生時代の一番苦手科目が美術の私😅。。。まったくアートは分かりません。 アートを前にしながら、全然良さが分からなかったのですが、分からないなりに見て歩くと、作者がこのアートを通じて何を言いたいのか、たぶんこんなことを言いたいのだろうと自分なりに消化できるようになるから不思議です。 ブース毎に分かれて、デスクで商談してる人もいて即売も可能。 アートをお買い上げになる人達ってどんな人?と思っていると、気づいたことは、来場者は皆おしゃれでハイセンス、見るからにお金持ちそうな人もいます。シャンペンやワインを持ちながら歩き、ゆっくり楽しんでる人達も多いです。 私が到達したアートって何?と言う質問への答えは、「人生のコアの部分で生活に余裕のある人が楽しむもの」との理解に達しました。 「アートなど分からない」と公言する事は、「私は無粋」と言ってるものだと反省、ちょっと恥ずかしく思いました💦 木の芽時 昨日は曇り 今日は晴 季語 :木の芽時(春)

福良雀 制作過程

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木目込み人形のキット。 キットはボディー、生地、装飾品がすべてついています。 仕上がりはすごく綺麗と先生お薦めの真多呂人形です。 出来上がりは写真の通り。クラスの生徒は皆それぞれ違う作品を作ってるので、自分の作品のサンプル完成品はクラスに用意されていません。 色、姿などは先生の写真を元に自分で製作していきます。 この福良雀の胴体には自分で「松竹梅」の模様を彫って木目を作ります。 繊細すぎて機械彫りできないので手彫りと説明書があります。 先生と松竹梅の絵図の練習をしましたが手書きではぐちゃぐちゃして綺麗でない。 コンピューターで形を作ってくるよう宿題が出ました。 久月人形学院の過程人形はあまり自分で突っ走らないように、先生の指導の下ゆっくり仕上げます。家でも練習したいので、私は過程を取っていない真多呂人形のキットを練習用としています。 今週末はイースターホリデー💘  子供達が学生の頃はイースターが来ると、すぐに学期末、夏休みと慌ただしかったのですが今や祝日は全部自分のホリデー😊 その上イースター祝日は数少ないアマさんのホリデーでない祝日。 香港の祝日とアマさんのホリデーは必ずしも一致でないのです。なので100%ご隠居させてもらえる嬉しいホリデーです。 歳重ね 懐かしきもの 木の芽合へ 季語 :木の芽(春)

お手玉 制作過程

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ボディーの修正には毎回時間がかかります。実際に着物を着てる姿を想像しながら立体的にふんわりするように桐塑を足して削ってを繰り返しますが、桐塑が乾くまで時間がかかります。なのでボディー修正中は教室にボディーを残していきます。先生のOKが出ると生地の木目込みを始めます。袖の部分は3枚に分かれていますが、私は一枚布で仕上げました。その方が柄が連続して綺麗です。生地を直接ボディーに当てマチ針で止めて裁断します。ちりめんの生地が伸びないように、皺が寄らないように、切り過ぎて生地が足りなくならないように、細心の注意で裁断して木目込みます。「集中」とか「一生懸命」は50代後半になって死語となってたボキャブラリーですが、まさにこの言葉がピッタリのように時間を忘れ無心になって人形作りができるということは幸せな事です。下の写真はクラスメートの真多呂人形、連獅子の白獅子。すごく綺麗です。次は紅獅子かな? 香港で習い事をするには日本人は日本人の先生に行きがちですが、日本人の先生はほとんど駐在員の奥様。なので2-3年で香港を離れられます。先生がいなくなればレッスンは続けられません。コースによって英語で教えるクラスもありますが、こちらは高給取りの西洋人駐在員を対象としてるので授業料が高い。なので工聯會のカルチャーセンターは私にピッタリ。ただもちろん言語は広東語。私の取る人形クラスは日本語の話せる先生がおいでですっごくラッキーです👍 手首から 香水香り 立つ四月 季語 :四月(春)

香港で粕汁

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以前、香港駐在が長く年齢の近い友人に「粕汁」と言ったところ、「ママも粕汁飲んでるの?香港で粕汁飲んでる家族って私だけかと思ってた!」と言われ、本当に香港で粕汁を作って飲んでるファミリーは少ないだろうと思います。理由は日本人駐在員は比較的若く、若い人達は粕汁を喜ばない、香港であまり良い粕が手に入らないなどあります。冬場に大阪に帰ると母が必ず粕を持たせてくれて、香港で冷凍して何回かに分けて作ります。大根、人参、お豆腐、長ねぎ、ごぼう、フィッシュケーキ、骨付き肉スペアリブ、みりん、お酒、塩少々、お味噌を入れます。コクがあって熱くて美味しいです。どんぶりで2杯は食べれます😋  近頃は我が家の飲み物は日本酒が多いです。シティースーパーで「獺祭」「久保田」など買ってましたが、AEONに行ってみると有名でないけど結構おいしいお酒が安価で売っています。先日は奈良県の「山香」、新潟県の「雪乃しずく」いうお酒を買いましたがおいしかったです。またAEONもトップバリューのグラス酒を出していてこれもそこそこお値段に見合うお味。「獺祭」「久保田」はもちろん美味しいですが、ブランド化したこれらのお酒を大枚はたいて買うよりも、新しい酒蔵のお酒を試して楽しむのも良いですね。手術からちょうど1年。やっとお酒を飲みたいという気持ちになり、回復してきた証拠です。グラス1杯で満足して少ししか飲めませんが、美味しいお酒は食事を楽しくさせてくれます。🍷 退社後に 寄り道しよか 暮遅し 季語 :暮遅し(春)

愛犬と散歩 完成

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ゆっくり進めて半年近く経って完成した「愛犬と散歩」。真多呂人形なので私のコース課程ありません。なので気が楽(笑)間違ってもちょっと布がたるんでも気にしなーい😄自分が楽しければ、そして仕上がりに自己満足なら、それで幸せです。人形の数も増えて主人が買ってきてくれたガラス箱では収まり切れなくなりました。2-3体箱に収めて棚の中にお引き取り頂いた作品もあります。勉強するにしたがって増える作品をずら~と並べるわけにもいかず、たまに入れ替えて楽しもうと思っています。 「犬」と言えば、私のオフィス席の前に座ってる男の子。まだ大学生でインターンシップの子ですが頭の中に二本線の傷がくっきりある。「小さい時にいたずらだったの?」と聞くと、自分が2歳くらいの時におばさんの家の犬に噛まれたとのこと。二本線は犬の 牙の噛み跡です。「え~っ!!」と私が大騒ぎすると、「あまり大きくない犬だったし、その犬は何事もなかったように最後まで可愛がられてた」と彼も飄々としています。「犬」は良き家族の一員ですが、時として「番犬」「仕事犬」の面を見せる時があります。子供が小さい間は近づかせる方も、近づく方も十分注意をする必要がありますね。 傷未だ 疼けば摩る 四月かな 季語 :四月(春)

PizzaExpress

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朝起きると我が家のアマさんが「目が回って吐き気がする」との事で、急いで病院へ行かせました。香港ではアマさんが行ける病院は政府の公立病院。なので通常はものすごく待ちます。しかしこの日は症状からトリアージで緊急と判断され2-3時間で帰ってきました。たぶんもっと重大な病気と思われたのでしょう。結局はだたの「眩暈」のようで一日何もしなくていいよと休ませました。なので夕食は外食です。ピザを食べたくてPizzaExpressにしたわけでありませんが、何を食べようと話し合ってる時に目の前にこのレストランがありました。ピザのみでなくパスタや簡単な前菜もあり、ワインもあります。キャンドルもテーブルにあるのでムードも良いです。簡単に、でも中華じゃなくてキャンドルディナーの夕食を楽しみたい時にはお勧めのレストランです。 主人とは家でもよく話しますが、キャンドルディナーは家での会話よりももっといろんな話ができて私は大好きです。キャンドルディナーを楽しむコツは、まず自分たちが入ったレストランを自分は気に入ってると示すこと。「ピザだけかと思ったけど、いろんなメニューあるね。ムードもいいよ!」などと口すること。ワイン一口飲んで「美味しい」と喜ぶこと。レストランを奥さんが気に入ってると思うと、世のご主人様はご満悦。これでもうキャンドルディナーは成功と言えると思います。 名作を 読み夢浸る 遅日なり 季語 :遅日(春)

雛祭り 2018

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今年もこの同じ顔ぶれ4体のお雛様を出しました。今年の3月3日は土曜日。お昼は友人とランチで楽しく食事しましたが、夕食は家族は皆それぞれ外出、私は木目込み人形クラス。なので特に雛祭りのお祝いはしませんでした。 2018年、私の仕事引退の気持ちが強くなりつつある今、もう本音はパワハラ気味なボス対象にこれ以上「面倒な仕事はしたくない」、「顔色を見て指示を仰ぐことはしたくない」という気持ちが日々強くなります。子供達の教育も終わった、自分のやりたかった仕事も十分したという満足感はあります。子供達の教育終了まで、55歳まで、など区切りを目標とした時もありましたが、はるか前にその時は過ぎ、それでもなんとなく仕事を続けてきました。なぜか?それは19歳の頃より自分の収入を得ていた私はサラリーマン人生が終わり、自分の収入が途絶えるという怖さでなかなか自分から「辞職」と言えません。収入がなくなって自分の自由になるお金がなくなると言う事は、私の価値を下げるという怖さにさいなまれるのです。いつになったら自然な形で仕事から離れれるのか?同じ場所に居続けているということは、全然変われていない自分が存在すると言う事ですが、自然と言う形を待っていると、なにかもっと大切なことができない、やれずじまいになっているのではないかとの怖さも感じています。 手首から 香水香り 立つ四月 季語 :四月(春)